絵:坂本あきら 文章:穂波   ウィンドウを消してお戻りください

「参拝のいろは」


まだ昼間だというのに、どうにも薄暗く凍てつくように寒い。
曇天はゆっくり揺れ動き、北に流れていく。
そういえば今朝の天気予報で夜は雪になると言っていた。

「…………」

飾りはなくとも正月の匂いを色濃く残す神社は、常と異なり賑わっている。
十五日――小正月の朝、歳徳焼きが行われまではこの雰囲気も爆ぜることがないのだろう。
門松や注連縄、破魔矢や正月飾りが燃ゆる音を想像しながら、 天現寺橋は拝殿に続く参道を連れと一緒に歩いて行く。
三つ分の砂利を躙る足音が、境内に響いては目立つこと無く消えた。

「ああ、ちゃんと清めないと駄目だよ――目黒」

手水舎で清めず通過しようとする男を、天現寺橋は言葉で、バサラが視線で促す。
小さな舌打ちが、空気を震わせた。

「……面倒臭ぇな」
「陰陽師の発言とは思えないね」
「………………」

とはいっても、目黒は正式な陰陽師ではない。
どの流儀にも属さない、闇を生業にしている男とこうして昼間に神社を参拝しているというのも馴染み無く不思議だ。
黒壇の袷を着付けた烏のような男は、渋々だが、天現寺橋と距離を挟めて手を清めた。
そして清めた身で目黒は、すぐに袂から煙草を取り出す。
そのまま慣れた手付きで吸おうとするが、どうやら水で湿気っているらしい。眉を潜め、眉間に深い皺を刻む。

「此処は禁煙だよ」

さしあたり注意喚起をしてみる。
そういう問題じゃねーだろと、目黒は苦虫を潰した顔をしながら煙草の袋を潰した。

「っかし、歩き連れぇな……普通の服はなかったのかよ」
「生憎これしかないんだ。裸よりはマシだろう」
「そうですよー! 贅沢言っちゃダメですよ!」
「……落とした奴がうるせぇ」

ふむ、と天現寺橋は息をつく。

バサラが落とした奴ならば、さしずめ目黒は落とされた奴という滑稽な立場であろう。
神田川の散歩道で仕事を終えた直後だったという目黒は、川岸に立っていた処をバサラに突き落とされたのだ。
先刻までの彼は、濡れ烏に相応しく黒い髪と黒いスーツがずっしりと垂れ下がり、何とも情けない姿であった。
しかも、家の鍵が流されてしまったのだから、始末に負えない。
天現寺橋が指示し、バサラが事務所から天現寺橋の着物を貸したのが聊か前というわけだ。

最初、目黒は貸しを作るのが尺だと言わんばかりの態度ではあったが、暫しすると寒さに耐え切れずのそのそと着替えていた。
いや、そもそもが天現寺橋の式神にやられたことが原因なので、当然といえば当然の権利が目黒にはあるのだが。
情けない自分に一番苛立っているのは、紛れもなく目黒自身だろう。
それが分かっているので、苛立つ態度や言葉が可笑しい。
思わず笑いが漏れると、目黒に睨まれた。

「モグリさん、ごめんなさい」
「顔、笑ってるぞ……反省の色が見えねぇ」
「あははははは、本当に悪かったと思ってますよ-。でも、勘違いさせる方も悪くないですか?」
「……てめぇ」

バサラ曰く、自殺しそうな顔で川を見ていたから助けようとしただけ、らしい。
確かに、どこか己と己が乖離したような佇まいには、どこか精神が病んでいるように見えた。
存在を消すかのようにただそこにいるだけの彼は、バサラでなくとも死を連想させたに違いないだろう。

だからなのかもしれない。
そのまま帰ろうとする目黒を呼び止めた。

「――はぁ、何で俺が、お前と参拝に行かなきゃいけねぇんだよ」
「いや、神社に行くところだったから、ついで……かな。鍵もないんだし、いいだろ」
「意味わかんね……。大体、何でこのタイミングに参拝なんだよ? もっと早くにしてろよ」
「仕事範囲の神社は、年明けになるべく全部参拝するようにしてるんだよ」
「そりゃあ面倒な事ご苦労さん」

目黒は眉根を寄せて、

“くだらない”と。
陰陽師でありながら祈ることを辞めた自分には考えられない、と。

そう、心底おぞましそうな声で、吐き捨てる。
天現寺橋は、嫌悪を示した相手にこれ以上参拝する理由を述べても無駄だと思った。
だから単純な正攻法で、決断の猶予を与えることにした。

「神社で、甘酒を配っているらしいよ」
「え」
「身体を温めるにはうってつけだろう?」
「………………」
「どうする?」

結局、目黒は天現寺橋についてきた。

「おっ、甘酒発見! ……って、手ぇ離せよ」
「『ついで参りはしたことにならない』だよ」

足早にお目当てを取りに行こうとする目黒を、天現寺橋は参拝が先だと窘める。
まず神にお参りを済ませ、それ以外のことをするのが原則なのだと言った。

「はぁ?」
「そうえいえば、きみ今日誕生日なんだろ。さっき免許証見たよ」

濡れたスーツを回収する際、ふたつに折られた財布を落とした。
湿っぽいそれを指先で触れると、無造作に突っ込まれた免許証が目につく。
今と変わらない仏頂面をした目黒が写る、その横には確かに、1月12日と記載されていた。

「――何、勝手に見てんだよ」
「御霊を授かった日に参拝するのは、悪いことではないと思うけどね」
「無視かよ」
「“御神恩を感謝して新たな一年を祈願する”ってやつですよねー」
「神に感謝する事なんかねぇし、願う事もねぇよ――くだらない」

くだらない、と繰り返すその言葉は、先刻のそれよりも一層の嫌悪が含まれている。
そのまま恨めしげに、憎らしげに、言葉を綴る。彼にしては珍しく多弁だ。

「俺にとって誕生日なんて忌々しいだけだ」

誕生日は自分が失った時間の長さを反芻させること他ならない。
だからこそ、恨みこそすれ感謝何てなければ、願うことは捨てた。

「参拝も誕生日もどちらもくだらない。どちらももう自分は捨てた習慣だ」
「……じゃあ、何できみは陰陽師なんてやっているんだい」
「決まってんだろ。妖を消滅させるために必要な力だからだよ」
「…………」
「つか、お前……今日ずっと説教くせぇよ」

陰陽師の仕事は妖相手ばかりではなく、浄化や祈ることも勤めだと口煩く親から躾けられている。
天現寺橋にとって陰陽師は仕事であると同時に、生きていく意味である。
失ってきたことは幾重にもあり、だからこそ生業を否定すれば己の29年間をも否定する。
さもすればそれは、自分自身がなくなるということだ。
だからこそ陰陽師でありながら、それを軽んじている目黒が少々腹ただしかった。

――が、実際はただ意地悪を言いたくなるだけなのかもしれない。
嗜虐心誘われる、とでもいうのだろうか。

参拝が嫌いなのも予測できていた。
本当は祈ることがあるくせに、祈るのをやめた男。
この否定ばかりの男に、誕生日くらいは神に祈る事をさせてみせたかった。
嫌な顔をしながら参拝するこの男を見てみたかったのだ。

「――まあ、いいさ。俺は甘酒飲んでるから参拝してこいよ」

ひらひら手を翳す目黒の手を、強く掴む。

「駄目だよ――バサラ」
「はーい!」

ふたりがかりで抑えて、拝殿まで連れて行く。
元より着慣れない着物を来ているため動きづらい目黒は、ぶつぶつ言いながらも手を合わせた。

「二拝二拍手一拝だよ」
「うるせぇ」

目黒は礼式どおり二拝二拍手すると、目を瞑り溜息をつく。先刻とは違う、意外にも体温の高い溜息だった。
そんな目黒を、天現寺橋は横目でみやる。

「…………」

目を閉じ、彼はずっと何かを祈っている。

いや、結局のところ何も祈ってないのかもしれない。
適当に他の事を考えていだけかもしれない。

けれど、ひとまずそれでいい。

いつかこの男がもう一度、本気で何か祈れる事が出来れば良い。
今は取り敢えず、参拝が終わったら祝いの言葉でも述べよう。



絵:坂本あきら  文章:穂波