絵:坂本あきら 文章:穂波   ウィンドウを消してお戻りください

「灯籠(どうろう)点(とも)る夜」


夏の到来を主張する蝉が、見えねど在ると主張して、
緑深き境内に声を響かせている。
大気中に増加した水蒸気で透明度は落ちてはいるが、
手を伸ばせば届きそうな程近く、碧い空。
太陽は躊躇わずに中天まで上り詰め、すだれに並ぶ売り物の風鈴は鳴らない。

眩まんばかりに白い光と熱を孕んだ夏が、そこかしこに訪れている。

「昼間から、凄い人だ」

雲一つ浮かんでいない空と、賑わう人々をうつろに眺め、
暑い、と手で目を蔽うのは陰陽師を生業にしている男、
天現寺橋だった。

漆黒の髪に光を反射させながら、人並みに任せ、ゆらゆらと漫ろ歩く。

「夜が本番だというのに、気が急くのか何なのか……」

ほんの少し襟元を開けて風を仰ぎ入れても、生温いだけのようで、
眉間にうっすらと皺が刻まれる。
しかし、それ以上は言うだけ体力を消費すると考えたのか、
ひとつの溜息だけで陰に籠もらせた。

今日の拝殿に続く参道は常の静かさはどこにもなく、
一定の法則を持つ音の連鎖が、蝉の声に混じり調和している。

屋台が左右ずらりと建ち並び、ほのかに香ばしい煙やら甘いシロップやら、祭り特有の匂いも漂う。
威勢の良い声が飛び交う中に聞こえるのは、大太鼓に締太鼓、
篠笛や鉦の祭囃子。
神輿と共に舞台に建ち並び、演奏する様子は日本情緒に溢れるというものだろう。

日常から切り離された祭りの興奮は人を呼び、
喜びや楽しみを生み出す。

いつの世になっても、祭りの存在理由は幾度となく変異しても、
それだけは変わらず続いていく。

「活気があるのは良きことだ」

ここには人の生への活力を感じられる、と四谷は思った。

「……人混みは苦手なんだよ」
「なら、私の体に身を委ねればどうだ?」
「いいよ、遠慮しておく」
「そうかい。残念」

封印した妖を引き取る代わりと、四谷が祭りに誘ったのが先刻。
天現寺橋のつれない態度に、くすりと微笑う。
生の気配が希薄な彼には、祭りはあまり心地良くないのかもしれない。

「じゃあ、仕方が無いねぇ」

身を寄せ合うのは諦めて、少しずつ距離を狭めて隣に並ぶ。

天現寺橋は今度は嫌がる素振りもなく、ただ黙って歩いている。
それが四谷には愉快で、利己心を掻き立てられるなどと、
天現寺橋は知らないのだろう。

「ふう……、少し休んだら帰ろうか」

一通り見て回ると、天現寺橋は拝殿の横に回り、母屋床に腰掛ける。
四谷もそれに従った。
風が凪いではいるが、木々の濃い影で、
ここは僅かにひんやりとしていた。

文句は言いつつも、わた飴やかき氷、焼きそばで胃を満たした
天現寺橋は、手にはりんご飴を持っている。

「食べないのかい?」
「これはバサラへのお土産だからね……、
きみも右京と左京に何か買ってあげればどうだい?」
「ふむ。検討しようか」
「政治家みたいな物言いだね」

この話題に興味を失ったのか、天現寺橋は垣根にあるホオズキを
手に取り、弄ぶ。 弄る指に、紅がよく映えている。
酸素を失った血液のように、深く暗い色合い。
ホオズキの実を覗く天現寺橋の、汗ばんだ白いうなじが露わになり、
しどけなく纏う着物が妙に色っぽく感じられて。

四谷は、隙間を埋めるように顔を寄せると、
そのまま天現寺橋に覆い被さった。

「……何だい? まだ昼間だよ」

押し倒されても尚、ホオズキを弄りながら、
物憂いにこちらを見つめてくる。
それがまた酷く愉快で、口の端を釣り上げた。

「ホオズキは漢方で用いるときは「酸漿(さんしょう)」……、鎮咳薬や利尿薬に使用される他、微量の毒は、昔堕胎薬として使われていたそうだ」
「へー、毒があるようには見えないけどねぇ」
「この世には、幾多数多の毒が混在している。私のような毒もいれば――」
「……僕のような毒もいるっていうことかい」

四谷は頷く代わりに、天現寺橋の首筋から顎にかけて、舌を這わせる。
幾度も唇を押し当てやれば熱っぽい息が吐き出され、
腿を撫でれば、その刺激で身体が跳ね上がる。

煽りあげられ、天現寺橋の手からホオズキが転がり落ちた。

「……頬が、まるで火火着(ホオズキ)の実のように赤い」

首筋に張り付いている髪を掻き分け、滲んだ汗を、指で掬いやる。
その雫を口に含み、にやりと口角をあげた。

「僕は暑いのも、苦手なんだよ」
「ほう。随分と、苦手なものが多いものだ」

四谷は見透かしたような瞳を向けると、天現寺橋の前髪を掻き上げ、
額を軽く吸い上げる。
わざと小さな水音を立てて、唇を離した。

「私の体温は冷たいよ、試してみるかい」
「…………」

見つめ合う瞳に、そのまま唇を落とす。
昼間から艶めかしい雰囲気で唇を重ね合う。

四谷の長い髪が天現寺橋を覆い隠し、そこから漏れ出る光が
昼間だということを主張していた。

気にせず熱に塗れた身体に指を這わそうと、
手を下に移動しようとした際、天現寺橋に髪を引っ張られる。
ふいの行動に、さすがの四谷も驚くと、組敷いた相手を見やる。

「……痛い、天現寺橋」
「引っ張ってるんだ、当然だろう」
「…………」
「きみの体温は確かに冷たいけど、髪は長くて暑苦しいな」
「…………」
「いっその事、切ってしまったらどうだい?」

にっこりと笑う、毒。
そのまま起き上がると、乱れた着物を正す。
そして、一度も振り返ることも無く、ひらひらと手を翳すとその場を去って行く。

遠ざかっていく後ろ姿を追う気にもなれず、四谷は自分の髪に触れた。





「うん、やっぱりいなりは三角じゃないと」

右京は、幸せ顔でいなり寿司を摘まめば、
頬張ってお気に入りの味を堪能する。
かつお出汁がよく効いた、美味しいいなりに満足し、舌鼓を打つ。
狐の耳に模して三角形に仕上げた形というのも、重要なポイントだ。

「さすが、右京左京お手製のいなり寿司だよね」
「そうだな」

右京左京は主人の留守を守りつつ、台所に立っている。
ただ、作っているのは左京で、右京は摘まみ食いをしながら、
いなりの旨さについて語っているだけなのだが。

もう一つといなりに手を伸ばした刹那、右京と左京の耳がぴくりと動く。 ほんの僅かに揺れた空気で、全てを察し身を引き締める。

「――――お帰りになられたようだよ」
「……ああ」

二人の忠誠心は山よりも高く、海よりも深い。
軽く、音も立てずに玄関まで移動すると、帰る主人を出迎える。

凜とした空気を身に纏い、主である四谷は姿を現し、
二人の前に降り立つ。

「お帰りなさいませ」
「お疲れ様でございます。外はお暑うございましたでしょうに」

片膝を地に付けて頭を下げる家臣の頭を撫でやると、
四谷は二人に鼈甲飴を手渡した。
艶やかに琥珀色に照る、甘いお菓子。

「……これは?」
「留守を任せたからな。土産だよ」

思い掛けない土産に、右京と左京の耳がぴくんと立つ。
礼を述べると嬉しそうに、そして大事そうに懐にしまった。

「この後、本日のご予定は?」
「――今宵は、夜祭りも興じようかと思ってね」
「では我らも付き従い参りましょうか」
「いいや、その必要はない。祭りに赴いたら、二人も遊ぶといい」

四谷の様子に、右京左京は顔を見合わせる。
打ち水だと、水を撒いた庭では、ゆらゆらと霞がかかっていて。

夏の陽射しにも負けじと咲き誇っている向日葵が、
目の端に映り込む。
四谷の言わんとしていることが読み取れ、静かに頷いた。

「……天現寺橋様との逢瀬ですね」
「そういうことだ」
「…………そうですか」
「ああ、それと。――右京左京」
「はい」
「なんでしょうか」

四谷は、そっと取り出した櫛と髪飾りを差し出しながら、
部屋の奥に身を進める。
幾分ひいやりとしているものの、適温に保たれた宮が、
過不足無く心地良い。

付き従いながら、手渡された見慣れないそれらを交互に見る可愛い従属に、四谷は妖しく微笑む。

「髪を結ってくれるかい」

突然の申し出に驚きながらも主の為であればと、
二人は仰々しく腰を曲げた。
ふふふ、と椅子に腰を落としながら微笑う四谷の髪に、
右京左京は櫛を入れる。

きめ細かい絹のような髪を梳くと二つに分け、
髪を左右ずつ担当しながら、右京左京は四谷の髪を丁寧に
結い上げていく。


「――右京、左京……」

しかし、手鏡に映る完成した髪型は、予想と反して、
左右で全く異なる出来映えだった。

左京が担当した側は、性格通りきっちりと固く結ばれ、
全くの面白みがない。
それとは逆に、右京が担当した側は、左京よりも高い位置に結ばれ、
華やかに逆毛を立てられ巻かれている。

「せっかくならばと、華やかに致しました!」
「そうか」

誇らしげに笑う右京に、四谷は微笑みながら、やり直しを命じた。

「一つに括り上げてくれるかい」
「御意」
「……しかし何故、急に髪を結うなどと?」
「ふふ、今更だね、左京。まあ、気分としか言いようが無い」
「四谷様は、流している髪も素敵です」

梳るたびに掌から流れ落ちる、滑らかな髪の手触りを堪能するように、
右京が触れる。

「有り難う、右京。でも、これは只の余興だ。
もう暫し、付き合ってくれるだろう」
「それは勿論ですが……」

天現寺橋絡みだろうと分かって、どことなく腑に落ちない
右京の気持ちが、四谷には透け見えた。
それでも、主が決めたことだと結っていく姿は、
何とも甲斐甲斐しい。

大体が同じ気持ちだろう左京も、黙々と作業を続けている。
しかし、二人に先刻ほどの笑顔はない。

右京左京が天現寺橋を良く思っていないことを、
四谷はよく確知している。

それでも。

可愛い従属の気分を害してでも、
今日は天現寺橋にもう一度会わなければ。

そう、あの微量の毒にあたり、
不都合を起こしたと思われてはたまらない。

優位に立つのも、振り回すのも、必ず自分でなければ。
髪を結うのは、その為の武装であり、「偽り」の姿だ。

ホオズキのように。

綺麗に結って、涼しげな体と髪で、今日の夜は天現寺橋を抱こう。
昼間のようにはいかないと、酸漿の毒で
鬼灯(ホオズキ)の光で思い知らせよう。

「もうすぐ結い終わります」

綺麗にひとつに結びあげられていく髪。
さて、仕上げにはホオズキの髪飾りをつけて。

天現寺橋はどういう顔を自分にみせてくれるだろうか。
想像して、四谷は口角を上げた。

酸素不足により脳の思考回路が遮断されるまで、
深く毒を吸ってやろう。

【了】


絵:坂本あきら  文章:穂波