絵:坂本あきら 文章:穂波   ウィンドウを消してお戻りください

「一八短夜(みじかよ)」

ざり、と砂を躙る。
真っ暗なのに、己の前髪から落ちていく雫がはっきりと見えた。

「…………」

今宵の満月は鈍色の雨雲に剋され、一筋の光すら地を照らしていない。
弾丸のような雨滴がアスファルトを叩きつけ、

細かい波紋を幾つも作っている。

オフィスの窓から明かりが消えて数時間、人の姿はおろか、

街のノイズすら聞こえない。
歓楽街の路地裏に、目黒は立っていた。

「――あ、――あ、や……め……」
「うるせぇよ」

怯え震える小柄な男の口を左手で覆うと、そのまま

薄汚れたビルの壁に叩きつける。
頭蓋骨がめり込む重い音が雨音と混じり、不協和音を奏でる。

その不愉快さに、目黒は眉間に皺を寄せた。

左の掌では、頸動脈を締め付けられた男が白目を剥いている。
手を離すと足で乱暴に、地面に伏している男の上に

その体躯を転がした。

慣れた手つきで煙草を取り出す。
ライターがないことに気づき、今度は真横の男に視線を向けた。

「あんた、火……持ってね?」

体中の血を抜いたような蒼白の男は、首を横に振った。
恐怖のせいだろう、唇と目黒に向けている銃が小刻みに震えている。

「う、わぁぁああああ」

気が触れたのか、男は銃を乱射し、そのひとつが

目黒の頬を掠めシャツに血痕を飛ばす。

それと同時に目黒は上着から銃を取り出すと、
冷静に引き金を引いた。
空気が震え、弾が男の肩を貫く。

「こんなんじゃつけらんねーよ、馬鹿」

崩れ落ちる男の腹を蹴り上げる。
うぐ、と小さい呻き声と共に動かなくなった。

銃が地面を滑り、男達の血で水溜まりが赤く染まっていくのを、
鉄のように熱を持たない表情で悠然と見下ろす。

特別に何の感慨も湧きもしない。

全ての人間を地に伏せた目黒は男の上着からライターを拝借すると、

煙草に火を点けた。
紫煙を吐き出すと、壁に拘束されている妖に近づく。

「ちゃちな人間操って俺を殺そうとしても、無駄なんだよ」
「――ひッ! ク、クるな」
「動けねぇだろ、そういう術だからな」

逃れようと何度も足掻いたのだろう、大蛇のような

うろこ状の皮膚から体液が流れ出している。
醜い、そう目黒は思った。

人間とは違う醜い生き物、侮蔑や嫌悪感が込み上げて苛々する。

「お前が所持してる、月長石を寄こせ」

煙を燻らせたまま、目黒は視線だけで妖を射抜く。
寄越さなければどうなるか、散々見せつけられ怯えきった妖は、

顔を歪め口を開いた。

頬骨まで裂けた口、鋭い乱杭歯の間から、長く太い舌を垂れ下げる。
舌の中心に埋め込まれた青いシラーが、神秘的に光り輝いた。

月長石は月が宿る石として崇拝され、月の満ち欠けに従い

形を変化させながら、持つ者に予知能力をもたらす。

雨でなければ、満月の今日はその力を遺憾無く発揮していただろう。

「…………」

目黒は無表情で、舌ごとそれを引きちぎる。

ぬるりとした感触も鼓膜を劈くような悲鳴も、無視。
血が数滴、頬やスーツに飛び散るのも、今更だと気にしない。

ただ、人とは違う色のくせに、人の肌のように生温かいのが、
神経に障った。

「――――死ね」

薄ら笑って、漂白したような感情が込められていない声で、

妖を消滅させる術を唱える。

響く断末魔を耳にしながら、奇妙なくらい

心臓が落ち着くのを目黒は感じていた。

妖の舌から月長石を摘まみ出すと、不必要な肉塊は地面に棄て躙る。
暫し手にした石を眺めていたが、後方の気配に気づき、口角をあげた。

「相変わらず、随分と派手にやってるね」

時代錯誤の和傘をさした男が、いつの間にかそこに立っている。
切り揃えられた漆黒の髪、聞き覚えのある抑揚のない声。
どうやら招かれざる客が、血と妖の匂いに誘われやって来たらしい。

「デートの誘いかい、べっぴんさん」

軽口を叩くと、相手は均整のとれた顔を不機嫌そうに歪めた

「……無駄口はいいよ。僕の依頼人は、それがご所望なんだ」

“それ”と言いながら月長石を指さす。
挑戦的な視線を向けられ、目黒はくくっ、と喉を鳴らした。

「あーあ、陰陽師の天現寺橋大先生様、それはそれは。

折角だが残念だったな。……これは、俺が先に見つけた」
「それって関係あるのかい?」
「……ちっ」

次の瞬間、目黒は天現寺橋の腕を掴むと、乱暴に引きずり寄せた。

そのまま荒々しく背中を壁に押し付け、覆い被さる。
傘が水と血溜まりに落ち、水紋を作った。
煙草を口に銜えながら、邪魔をするな、という無言の圧。

しかし、天現寺橋は眉一つ動かさない。

凝視するように睨み付けるように、目黒の視線に結びつける。

「…………」
「…………」

互いに、目だけで牽制し合う。

「こんな美人に見つめられるなんて、光栄だね」
「…………」
「……黙り、か。まあ、いいさ。……六月は夜が短い。

さっさと済ますか」

言うより早く煙草を捨てると、目黒は天現寺橋の
首筋を
血が滲むくらい強く噛みつく。
まるで、吸血鬼の所作のように。

ぎち、と歯の食いこむ痛みに、天現寺橋は小さく呻いた。

「……っ」
「くく、その顔、興奮するねぇ……」

滲む血に、目黒はせせら笑う。口だけで、目は笑っていない。
そして今度は顎を強引に引き寄せると、唇を這わせ、舌を捻じ込む。

反射的に食いしばった歯をこじ開けるようにして、何度も口内を掻き回した。

キスとはほど遠い暴力的な威圧感を、肉体にぶつける。
これ以上逆らえば、めちゃくちゃにするという通告だった。


しかし――、

「…………」
「……怖くもないって顔だな」

それならば、と。その顔を歪ませてやるよと言わんばかりに、

目黒は首にあてた手に力を入れる。

頸動脈を止めるようにして押さえつけると、
天現寺橋の眉間にうっすら皺が刻まれた。

しかし、目黒は気にした様子を見せない。
天現寺橋の首を絞め続ける。

「……ほら、さっさと足掻かねぇとお前死んじまうぜ――、……っ!?」

噛み付くように唇を這わせると、走る衝撃に、

目黒は顔を顰める。
どうやら口の中を噛み切られたらしい。

赤が混じった唾を吐き捨てると、目線が合う。
天現寺橋は笑っていた。

そのまま甘い笑みを称えた悪魔に、鳩尾を蹴り上げられる。
背中の埃やアスファルトの砂を払いながら、

こちらを冷たい瞳で見下してきた。

「お生憎様」
「ははっ」

幾度か咳き込みながら、目黒は自分の失態に声をあげて笑う。
そして一頻り笑った後、一瞬で無表情になった。

「――――」

左手で握ったままの銃を、天現寺橋に押し当てようと腕を伸ばす。
しかし、それを予測していたかのように、天現寺橋は銃を足で払った。
小さな体躯からは考えられないような力に跳ね返され、

あっけなく銃は手からこぼれ落ちる。

「残念だったね」
「――ああ、そう」

吐き捨てて、今度は目黒が天現寺橋を膝で蹴り上げる。
体勢を立て直し落ちた銃を拾い上げ、再度つきつけた。
いつの間にか雨が上がり、太陽の光が差し込んでくる。

どうやら夜明けらしい。

「…………」

カチ、リ。

引き金に置いた指に力を入れる。
つきつけたままの銃を、目黒は動かさない。
しかし目の前に立つ相手も、自分が潰した男の一人から銃を拾い上げ、

黒光りする銃口をこちらに向けていた。

「引き分け、か」
「……違うよ。僕の勝ちだ」

いつの間にか、目黒の首筋には長い爪が宛がわれ、血を滲ませる。
少しでも動いたら刺し殺すと、天現寺橋の式神が笑った。

「……分かったよ」

目黒は嘆息して銃をスーツにしまうと、天現寺橋に月長石を放り投げる。
天現寺橋は受け取ると、差し込む朝日に月長石をかざした。
すると、月長石はさらさらと砂になり、

細やかな粒子は空気の中に散らばる。
砂時計の砂のように、三人の頭に降り落ち、消えた。

「あっ、てめぇ、人が苦労して手に入れた月長石! 何すんだよっ」
「センセイ!? それ依頼主に渡すヤツですよー!」

驚く二人に、天現寺橋は最初からこうするつもりだったと、顔も声も変えず告げる。

「この月長石は、予知能力以外にも力があるからね。

きみも知っているんだろう?」
「…………」
「沈黙は時に雄弁だね」

何もかも見透かした態度。
目黒は、だからこいつが嫌いなのだと、思った。

「センセイ、この石には他にどんな力があるんですか?」
「……満月の日に、石を口に含めば願いを叶えられるんだよ。

幸い今日は雨だったけど……これは依頼人も含め、
人が手に入れていいものじゃない」
「でも、何だかもったいないですねー……」
「石はまた気の遠くなる時間をかけて再生できる。

だから、これでいいんだよ、バサラ」

話が長くなってきた。

天現寺橋の言い方は、遠回しに目黒を諭しているようで、
目黒は舌打ちをしながら頭をかく。

早々に退散した方が良いと判断し、黙って踵を返す。
背中に、天現寺橋の言葉が突き刺さった。

「目黒、きみは何を叶えようとしていたんだい?」
「……ほっとけ」

言葉にしたところで、どうせ叶うはずもない。

足元の溜りに写る自分の表情を踏み消して、目黒は煙草に火を灯した。



【了】


絵:坂本あきら  文章:穂波