絵:坂本あきら 文章:穂波   ウィンドウを消してお戻りください

「東京陰陽師~お花見の場合~」

車の動く音、人の話す音、全て分厚い壁に覆われた薄暗い部屋。
人一人寝るのには大きめなベッドで、 天現寺橋は肌触りの良い毛布にくるまりながら、寝息を立てていた。
眠りを妨げる朝の光も、窓がない此処では、侵入は不可能だ。
誰も天現寺橋の安眠を妨害する者はいない……はずなのだが。

「…………」

ぎしりとベッドの隅が沈み、
眠る天現寺橋に近づく影が、くすくすと笑った。
   
「セ~ンセ……」

闇色に支配された意識と体に、細くて重い何かが転がり、覆い被さってくる。
体重を乗せた重いキスが息苦しくて、天現寺橋は眉間に皺を刻んだ。

「起きて下さい、センセイ。じゃないとイタズラしちゃいますよー」

覆い被さったまま、飄々と顔や髪をまさぐってくる相手に、
天現寺橋はずきずきと痛むこめかみを押さえた。

痛みに顔をしかめて睫毛を幾度が瞬かさせると、
くすみがかった視界を声の主に向ける。

すると、無邪気に微笑む式神と目が合った。
天現寺橋は再び瞼を下ろすと、しかめっ面のまま、重いと呟いた。

「バサラ、どいてくれ」
「センセイ、外は良い天気ですよ」

しかし、天現寺橋の訴えも空しく、あっさり無視される。

「折角ですし、お花見にでもいきましょーよ」
「嫌だ」
「え~、何でですかぁー?」
「……頭が痛い」

それどころか、昨日仕事で力を使い過ぎたのだろう。体もとても怠い。
式神ならそこを察しろと、天現寺橋は悪態をつく。

「何言ってるんですか、十時間も寝て。寝過ぎで頭が痛くなってるんですよ。
お花見行きましょう、センセイ。今日は珍しくお仕事も入ってないですし」
「何にもない日なら寝かせてくれ」
「ようやく満開になったんですよー」
「『春眠暁を覚えず、処処啼鳥を聞く、夜来風雨の音、花落つること知る多少』」

しどけなく寝ころんだままそう言うが、バサラが納得するはずもなく。

「んもぉ、窓がないここじゃ鳥の囀りも聞こえないし、昨夜は嵐なんかじゃないですよぉ」
「…………」

聞こえないと言わんばかりに、天現寺橋は布団の奥中へと身を進め、 それからピタリと動かなくなった。

「んーもう、つまんなーい! センセイ~!」
「…………」

気怠い頭痛い。疲れて眠くて、外のことなどどうでもいい。
ただ、この気持ち良い微睡みの中に埋もれていたい。
天現寺橋は、バサラを尻目に息を大きく吸い込むと、ゆっくりと吐き出した。

「センセイ~……」

一切身じろぎしなくなった主の体に、バサラは子犬のように鼻を鳴らし、頬を摺り寄せる。
しかし、かろうじて布団の端から出てきた手が頭を撫でるだけで、
本体は一向に布団から出てくる気配はなかった。

「むむむむ~、いいもんボク一人でお花見行ってくるんだからっ!」

痺れを切らしたのだろう。
天現寺橋の返事も待たずにバサラは踵を返すと、ずんずんと大股で歩いていく。
そして、聊か乱暴にドアノブを回すと、

「センセイのバカ意地悪アンポンタン!」

大きな音をかき鳴らしてドアを強く閉めた。

すぐに鉄製の外階段の上るカツンカツンという音が響き渡り、
バサラが本当に外に出たのが天現寺橋の耳にも伝わる。
人型で出て行った様子にバサラの意地が見え隠れしたが、
もはや天現寺橋には大した事ではなかった。

「よし、これでもう少し眠れるな」

再び訪れる静寂に、 天現寺橋はいそいそと寝る体勢を整えると、
意識を明け渡した。



「――――――」

本当に、春眠暁を覚えずとはよく言ったものだ。
春の眠りは心地よくて、それを理由に眠り続けることが出来る。
再度床についてから、どれ程の時間が経過したのだろうか。
――セ、――セ……。

(……ん、誰かが呼んでる?)

――セ、――きて――さい。

途切れ途切れに聞こえてくる声が誰だか、天現寺橋はよく知っている。
知っていて無視を決め込んでいたら、ベッドを大きく揺すられた。
揺れが気持ち悪くて、意識を強制的に覚醒される。

「バサラ、お前な……」
「センセイ! 見て見て!」
「ん、なん……」

努めて動揺を悟られないように、静かな顔と声音のまま上半身だけを起こす。
そして、ゆっくりと重い瞼を持ち上げた。

「――――」

持ち上げたら、睫毛を掻き分けて、視界が桃花褐に覆われる。
花弁が視線の水面で吹き寄せられ、流れていく。

「センセイが外に行かないって言うから、ボクが桜を持って来ました!」
「はぁ? 何をやって――うわっ」

桜。 桜、桜、桜桜桜。

「ふふふ、そ~れ~!」

桜、ちるちる、桜散る。
白色から薄紅色、濃紅色に色付いた花弁は空中を滑るように漂い、
舞散り、 天現寺橋に降りそそぐ。

「あはははは~!」

まるで視界が花の浮き橋のようだと、天現寺橋は思った。
バサラは集めてきた桜の花弁を部屋の中でまき散らし、 天現寺橋の頭に何度も大量の桜を振り落していく。

「枯れ木に花を咲かせましょう~♪」
「なにしてるんだっ……って、僕は枯れ木じゃないっ!」

花の雪に人は魅了されるというものだが、 これは雪というより吹雪、
いや雪崩だ。

「でもでも綺麗でしょー?」

桜を全て散らし終えたのか、バサラは手を止める。
天現寺橋に抱き付き、ふふふと、嬉しそうに微笑んだ。
自分の功績を称える様に足をバタつかせるバサラの体から、
どことなく、桜色の空気の香りがした。

公園で大量の花弁をかき集めるバサラの姿を想像して、
天現寺橋はくつくつと喉で笑いをかみ殺す。

そして降参したよと、両の手を軽く上げた。

「わかった。花見に行けばいいんだろう?」
「わぁい! それじゃあすぐにお弁当作っていきますね!」

バサラは楽しげにくるくると跳ね、布団に散らばった花弁と一緒に踊っている。
ベッドが激しく揺れたのだが、不思議と気持ち悪くなかった。
そんなバサラから、髪に貼り付いていた花弁がひらひらと落ちる。
桜の別名は夢見草というだけあり、純粋に、その花弁を綺麗だと天現寺橋は思った。

「ふ。まだ、ついている……」

自分からバサラに近付くと、より一層桜の香りが強くなり、 淡く色づく桜色は部屋の中に溢れ、そして降り頻る桜花に包まれる。

「『さくら花ちりぬる風のなごりには 水なき空に浪ぞたちける』、か。まぁ、ここには水面はないけど……」

天現寺橋はバサラの髪から摘まみ掠め取った花弁に、唇を落とす。
ちゅく、と小さな音が静かな室内に響いた。

「…………」
「ん? どうした、バサラ?」

「――センセイ。 センセイの“ここ”にも桜がついてます」

こことは唇。

急に照れたようにもじもじするバサラの姿に、 小さな棘のような悪戯心が沸き起こり、天現寺橋はにやりと笑う。
そして、手を伸ばしバサラの袖を緩く掴むと、自分の方に引き寄せる。

「勿論、取ってくれるんだろ――、口で」

上目使いで誘うように、挑発するように、じっとバサラを見つめながら、 もう一度軽く引っ張った。
「センセイったら、本当に可愛いっ。――んっ」
「ん……あ、……」

嬉しげに微笑んで、唇の端についた花弁を舐めとると、 バサラはそれを天現寺橋の口内に押し込む。
唇をこじ開けるようにして入ってくる冷たい感覚に、わずかに戸惑いが生まれたが、 天現寺橋は抵抗しない。

ただ、相手が満足するまで受け入れる。

「ふぁ、おいしー。センセイ、もっと食べさせて?」
「……どうぞ」
「あ、でもこれじゃお花見、遅くなっちゃうかな……」
「いや、いいんじゃないか」
「え?」

驚くバサラの髪を、いい子いい子と撫でながら、天現寺橋は口角を上げた。

「夜桜のほうが、風情があっていいだろう? 花明りに誘われて、酔ってみるのもまた一興だと思うが、どうだい?」

聞かなくたって答えは分かっているが。

「センセイ、大好き!」
「……ああ、知ってるよ」

天現寺橋は、もう一度抱きついてキスをする従者を受け止める。

花篝に照らされる夜桜を背に酒を飲む姿を想像して、
まぁそんな休みもたまには悪くないなと、そっと目を閉じた。


絵:坂本あきら  文章:穂波