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東京陰陽師一周年記念SS「春夏秋冬」
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 時間は動き季節は巡る。

 過ごす日々は、良きも悪きも織り混ざる。
 それはただ、糾える縄の如く。


         ***


 春の陽気は眠気を誘う。
 陰陽師という生業は夜が更けてからすることも多いためか。天現寺橋はこの誘惑に弱い気がした。
 眠気という水位がみるみる上がって、とぷんと頭から沈められるようだ。
 そして今日も今日とて、茶を飲む手を休めれば、ソファでうつらうつらと船を漕ぐ。

「…………」

 幼少の頃も、天現寺橋は実家の縁側でよくうたた寝をしていたように思える。
 特に厳しい鍛錬を受けた後や父や兄に叱られた時、ひとりそこで座って、つくばいを見ている内に眠っていた。

 春の空気は柔らかく、日差しは優しく天現寺橋を撫でてくれるようで。
 家族から与えられない温もりを感じ、安心していたのかもしれない。
 けれど、どんなに甘やかな眠りについても、目を覚ました時はやはりひとりだけ。
 それが少々物悲しい気持ちにさせた。

「……ん、……」

 ふと、夢と現を揺蕩う意識は浮上し、重い瞼が僅かに上がる。
 どうやら本格的に寝ていたのか。いつの間にか身体は横に倒れていたようだ。
 けれど、頬に感じるのはソファの革ではなく、もっと柔らかいものだった。
 天現寺橋はすぐに己が膝枕をされているのだと気がつく。

「……バサラ?」

「あ、センセイ起きちゃいましたか?」

「……ああ……でも、まだ眠い……」

「ならもう少し寝てたらどうですか? 昨日の依頼は力をすごく使いましたし、身体を休めると思って」

「いいの、かい……?」

「勿論ですよ」

「そうか……」

 ならば、と。バサラの言葉に甘えるようにして、天現寺橋は瞼を下ろす。小さく息を吐いた。

「ふふっ」

 バサラが微笑む吐息が上から落ちてくる。それと同時に、髪に触れるのはバサラの手。
 ゆっくりと、愛しげに髪を撫でられる。

(……なんだか、気持ちがいいな――……)

 子供の時には無かった甘やかな感触に、どこか酔い痴れる。
 春とはまた違う温もりが擽ったくも心地良い。

「センセイ、ゆっくり眠って下さい。……起きるまでボクが傍にいますから……」


 その言葉を、天現寺橋は夢みたいに聞いていた。


 ああ、そうか。
 己はもうひとりではない。
 どんなに深く眠りに落ちても、たとえ怖いほど静かな深淵だったとしても。
 目を覚ませば、そこにはバサラがいる。

 天現寺橋はその幸せに微笑みながら、甘く温い眠りの渦に呑まれていった。


          *


 風が凪ぐ、茹だる夏。
 どうしてこうも過ごしにくいのか。
 それは――今月の電気代が厳しいと、バサラにクーラーの使用を制限させられているからだ。

「あーつーいー」

 行儀悪くも着物の衿を開けながら、天現寺橋は汗ばむ身体に団扇で風を送る。
 しかし、そんな涙ぐましい努力をしたとしても、この熱さに比べれば雀の涙ほどの涼しさしかなく。
 天現寺橋は容赦なく首から流れる汗を疎ましく感じた。

「ふふ」

 そんな天現寺橋のやりとりを微笑ましげに見つめるのは、新宿の羽織役――四谷だった。
 温かいカフェオレを飲む彼は、この沸くような暑さの中で汗の一滴も流していない。

「きみは随分と涼しそうだね」

 天現寺橋は扇ぐ手を休め、四谷とは相反した憎々しげな眸で見つめ返す。
 その視線に苦笑しつつ、四谷はカフェオレをまた小さく啜った。

「まあ、私はさほど暑さに影響を受ける身体ではないからねえ」

「……妖っていうのはこういうとき羨ましいよ」

「ふむ、そうかい……?」

 四谷はカップを置くと天現寺橋に身体を近付ける。そして、唇を柔く掠め取った。

「……ん、っ……」

 吐息を漏らして、天現寺橋の身体が震える。
 緩まった唇のあわいから四谷の舌が滑り込み、口腔を僅かに撫でるとすぐに離れた。

「ふふ、確かにお前は唇もその中までも熱いようだ」

 からかうように耳朶にそう吹き込まれ、元より熱い身体が更に火照ったように赤らんだ。
 口角を弓形に上げる四谷はなんとも意地が悪い。

「何するんだい、急に」

 天現寺橋は目を眇め、四谷の身体を押し返す。
 いくら人より体温が低くとも、この暑さでは熱いことにはかわりない。

「…………」

 しかし、余裕に満ちた表情のまま、四谷は逆に天現寺橋をその場に押さえ込んだ。

「え……ぁ、……」

 傾ぐ身体はそのままソファに落ちていく。

「な……」

 訳がわからず、視線を泳がせる。そんな天現寺橋の手を取ると、四谷は指先に唇を落とした。

「私はね、夏が一番好ましく思っているんだよ」

「……え?」

「お前の手も唇も、身体の何処かしらも熱を持ち、その全てが生を強く感じさせる」

 四谷は眸を細めると、天現寺橋の身体に手を這わす。
 形を象るように辿り、最後に胸の隆起を掌で確かめる。
 それはまるで天現寺橋の生きている証を、熱を、四谷は暫く堪能しているようだった。

「……四谷……」

 言われ思い知る。
 人の生は、妖のそれよりもずっと短いということを。
 いつか己も四谷を残して逝くのだろう。
 それでもその儚さを、四谷はいつでも愛してくれた。慈しんで大切にしてくれる。

「…………」

 けれど、もしかすると本当は、四谷もどこか不安なのかもしれない。
 だからこそ天現寺橋の体温をこうも愛でるのだろう。

「……ねえ、四谷……僕、長生きするよ」

 思わずそう呟くと、四谷は少し驚いたように目を見開いた。
 けれど、すぐに微笑うと、覆い被さるようにして天現寺橋を抱き締める。

「……ああ、是非ともそうしておくれ……」


 重なり合う身体に互いの体温が溶け合って。
 やはり少し熱かったが、今度はそれを天現寺橋は素直に享受した。


          *


 秋は実りの季節である。
 稲などの穀物や果物、冬に備えて動物たちも豊かにその実をつけていく。
 そう。それは時として人も例外ではなく――……。

「なあ、お前太った?」
「っ、な」

 突然の、睦み合った甘い余韻を壊すような発言。
 それを目黒から受けて、天現寺橋は口をあんぐりと開ける。
 気怠い身体を勢いよく起こすと、急いで下腹部に手を合わせた。
 確かにどことなく以前より肉がついた気がした。

「…………」

「なに呆けてんだよ、気にすんなって」

「……気にさせたのはきみだろう」

 気付かずにいさせてくれたなら平和だったものを。
 秘すれば花に知らぬが仏。二つの言葉の意味を、訥々と語ってやりたい気持ちになった。

「……はぁ」

 しかし、そんな気力はすぐに泡となって消えてしまう。
 天現寺橋は深い息を吐くと、再び枕に頭を埋めた。

「いいじゃねえか、健康的で」

「……今更何を言ってもフォローにはならないよ」

 横目で睨み付ける。腕枕の為に伸ばされた手を強く払った。

「ひでえな、おい」

「五月蠅い」

 天現寺橋はそう吐き捨てると、素っ気なく背中を向けてしまう。シーツを口元まで引き上げた。

「くくく」

 しかし目黒も懲りないもので。
 首下に手を挿し入れてると、そのまま包み込むように天現寺橋を抱き締める。

「怒るなよ……俺は嬉しいだけなんだからさ」

「はあ?」

「だってそうだろ。俺の作った飯でこうやって育ってるんだぜ」

 言いながら、目黒は後ろから天現寺橋の首筋に噛みつく。犬歯が肉に軽く喰い込み縦に滑った。

「痛ッ……きみね、僕を太らせて食べる気かよ」

「そうかもな」

「はあ?」

「冗談だって。まあ別の意味では食べますけど」

 愉しげに目黒は喉を鳴らす。己で噛みついた箇所に、ちゅくっと短く吸い付いた。

「俺は温かい家庭に憧れてるんだ……たぶんな。
だからお前と一緒に食う飯はうめぇし、喜ぶお前を見るのが好きなんだよ」

「……将人」


 縁に恵まれなかったのは、互いに同じ。
 けれどなまじ温もりを知っているだけ、目黒のほうが憧れが強いのだろう。
 家族に、人と囲む食卓に。


「大体、お前は痩せすぎなんだよ。今だって細いくらいだ」

「……でも、デブになったらどうするんだ……」

「それはそれで愛してやるよ、お姫様。だから、な。遠慮しないでもっと俺の料理を食って太れよ」

「……莫迦だ。それよか太らないで美味しいメニューを考えてくれよな……」


 そう憎まれ口を叩いても、その想いを知れば無下にもできなくて。
 朝食のリクエストを考えながら、天現寺橋から目黒にキスをした。


          *


 冬は人恋しく、ポケットに入れた缶珈琲は温かい。

「飲まないのに買ったの?」

 一向にプルトップに触れず、掌と頬を温めているだけの天現寺橋を見て、上大崎が微笑う。
漏れた吐息は白く、その寒さを物語っていた。

「カイロ代わりだからね。冷えたらきみにあげるよ」

「ええ~ひどいな、もー……」

 いつもの如く上大崎をからかうと、賛美歌流れる街頭に向かう。
今宵から始まるイルミネーションを上大崎が見たいと言ったからだ。

「寒いのに付き合わせてごめんね」

「いいよ、見たかったんだろ」

「うん。ありがとう……」

 冷たく澄んだ空気を感じながら、二人でゆっくり雑踏を掻き分けて歩く。寒いのは苦手だがそこまで嫌でもない。
 いや寧ろ。こうやって穏やかに流れる時間を、天現寺橋は好ましく感じていた。
 寄り添って、ぽつりぽつりと小さく交わす会話も恋人らしくて好きだ。
 不満があるとすれば、上大崎から手を繋いで来ないことくらいか。

「…………」

 普段は人目に憚らず身体に触れたり、抱き付いたりしてくるくせにどうしてか。手にだけは上大崎から触れてこない。
 そう、腕を引っ張る程度はあっても、自ら指を絡ませ繋ぐことは一度もなかった。
 天現寺橋も特に繋ぎたいというわけでもないが、避けられているという事が気になるのだ。
 喉に刺さった小骨のように、心をいがいがとさせる。

「……なあ、優。きみ、僕と手を繋ぎたくないのか?」

「えっ、何で急にそんなこと言うの?」

「いや、ふとさ……」

 ずっと気になっていたとは言えず、言葉を濁す。目線を下に向ければ、俯いたようになった。

「それで、その……嫌なの、か?」

「いやいや、そんなことないよ」

「なら何で……」

「だって怜が嫌がるかと思って」

「――――え?」

 予想だにしない言葉を得て、天現寺橋は瞠目する。上大崎は気まずげに頬を掻いた。

「学生時代にさ。つい僕が無意識で繋いじゃった時があって……でも、きみすごく嫌そうに払ったからさ。覚えてない?」

「…………」

 ――心当たりは、ある。
 確かに昔、上大崎から繋がれた手を振り払ったことがあった。
 けれど、嫌だったわけではない。急に繋がれたことに驚いてしまったのだ。

(だからって、それを今でも気にするか普通……)
 
 いや、上大崎はそういう男だ。
 過去を気にして怖がって。
 触れることに怯えてしまう。

 けれどそれだけ己の事が好きなのだ。
 大切に想ってくれているのだろう。
 ……今はもう、きちんと分かっている。

「……ねえ、怜。もしかして繋いでも良かったの?」

「駄目だ」

「ええええっ」

「……でも、たまになら、繋いでやってもいい……」

「怜……」

「ふん」

 目を逸らしたまま小さく鼻を鳴らす。
 火照った頬を見られたくなくて足早に先へ歩けば、上大崎も同じように小走りでついてくる。
 そして再び横に並ぶと、冷たく冷えた天現寺橋の手を掠め取るようにして掴んだ。
 優しげに手のあわいを重なり合わせる。

「…………」

「…………」

 まるで二人だけの秘め事のように繋ぐ手。途端に、愛おしさが迫り上がってきて、繋がれた手を強く握り返す。
 ふいに顔が見たくなって、隣を見やる。赤くなった頬は風の冷たさの所為にすればいい。
 すれば案の定、満面の笑みで上大崎は天現寺橋を見つめていた。

「きみとこうやって歩けること幸せに思うよ」

「……ああ、そうだね。僕も、嬉しいよ……」

 空気は相変わらず凍てついて、缶珈琲はもう生ぬるい。
 風は身体を冷やして啜る鼻は辛いけれど、それでも。

 繋がった手と心は温かい。


         ***


 時間は動き季節は巡る。

 過ごす日々は、良きも悪きも織り混ざる。
 それはただ、糾える縄の如く。


 けれど願わくば、この幸福が続かんことを――――。




【了】



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文:穂波

東京陰陽師発売1周年を迎えることが出来ました。
ありがとうございます。
今後とも東京陰陽師を温かく見守って頂けますと幸いです。
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